◆ 俳句と禅 ◆

私の俳句づくり

1.俳句との出会い

 俳句との出会いは、小学生の頃だった。その頃につくった俳句が「俺を見てさっと逃げる雀かな」というものであった。季語が入っていない、この上手くない句を今でも時たま思い出す。祖父は川柳をつくっていた。時々、祖父はつくった川柳を披露してくれた。そういう事もあってか、小さい時から俳句や川柳には親しみを感じていた。
 その後、高校の国語の教科書で芭蕉や蕪村の句を知った。この著名な俳人のうち、芭蕉の句に強く心を惹かれた。

2.芭蕉との出会い

 その教科書に次のような芭蕉の句が載っていた。

「古池や蛙飛び込む水の音」
「この道を行く人なしに秋の暮れ」
「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」
 なにか寂しさを誘うこれらの句に強い印象を覚えた。後になって、この寂しさ、侘しさが、芭蕉俳句の「さび」であることを知った。
 また、「古池や蛙飛び込む水の音」の句は、芭蕉俳句の開眼の句としても知られている。芭蕉は、池に飛び込む蛙の『音』で悟ったと言われている。この『音』で芭蕉は、絶対なるものを体得したのだろう。芭蕉は、若い時から禅に親しんでいた。それ故、そこに至る契機(見性体験)が頷ける。後になって、彼は自ら「古池や・・」の句を辞世の句と言い切り。これ以後、「一句一句は辞世ならざるは無し」と吐露し、人口に膾炙している名句を次々と生み出したのだ。

3.私の俳句づくり

 俳句をつくりを始めて、かれこれ十数年になるが、なかなか上手くならない。だが、自分の句にそれなりに納得し、その句が好きになれば、それでもいいと思っている。しかし、これがなかなか難しい。いつも苦心しているところだ。
 ここでも、芭蕉の言葉を思い出す。曰く【俳諧は三尺の童にさせよ】と理屈ぽい技巧や、計らいを棄てて、子供の無心な気持ちで、素直につくることを心がけよ、と教えている。私はこの教えを大事にしたい。そして、観察の目を自然の姿に向けるように心掛けていきたい。ある一つの情景を見て五・七・五と、よどみなく出てきて、それなりに句が完成すればいいが、すぐには完成しない時がある、そうした時には、その情景を忘れないように頭に入れておき、後日、なにかの瞬間にそれに取って代わる句(言葉)が自然に出てきて完成することがある。そのためには、印象的な情景をしっかりと見ておき、忘れない様にしている。
 私にとって俳句づくりとは何か、それは、自分を癒し、心を豊かにしてくれる俳句への「詩心」を大切にして、これからも俳句をつくっていきたい。    終り


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