◆ 茶道と禅 ◆

「おいしいお茶」をいただいていますか?

 茶掛などで、よく、「喫茶去」という語を目にすることがあります。「まあ、お茶でも一服めしあがれ」というところでしょうか。

 昔、中国に、趙州和尚というお坊さんがいらして、(当時からとても有名なお坊さんだったものですから)この方のもとにたくさんの雲水(修行僧)がやってきました。新到の雲水が来ると和尚は、

「おまえさん、今までここに来たことはあるかい?」
とたずねて、「はい」という雲水にも、「いいえ」という雲水にも、決まってこう続けました。
「まあ、お茶でも一服めしあがれ」
この様子を見ていて不審に思った院主(お寺の事務面を司る僧)が和尚に聞きました。
「『はい』という者にも、『いいえ』という者に対しても、どうして、お茶をすすめられるのですか?」
この問には、趙州和尚、受け答えずに、
「おい、院主さんよぉ」
と呼びかけたものですから、院主は反射的に
「はい」
と言うなり、和尚はすかさず
「まあ、お茶でも一服めしあがれ」
                             
(『趙州録』より)

 先年に亡くなられた数江教一先生(中央大学名誉教授)は、茶道を学ぶ初心の学生に対して、「点前の巧拙よりも、如何にお客様に『おいしいお茶』をお出しするかを工夫しなさい」おいう意味のことをよくおっしゃったそうです。
 「おいしいお茶」。簡単なようですけれども、少しばかり思いかえしてみると、それが実に容易でないことがわかってきます。日々、本当に「おいしく」「お茶」をいただいていますか? これまで本当に「おいしいお茶」をお出ししたことがありますか? みずからに問うてみると恥ずかしい限りです。
 たとえば茶事においては、すべてが一碗の「おいしい濃茶」のためにあるといっても過言ではないようです。初座で炭をくべる時、主(あるじ)は濃茶を点ててお出しする時にちょうど良い服加減となるように、「火あい」「湯あい」を工夫します。また、懐石は決してメインではなく、「おいしいお茶」をいただくためのプレリュードと言えるかもしれません。そして、席あらための後、いよいよ濃茶のお点前。亭主から出されたよく練り上げられた濃茶を、正客は一口ふくむと

主(あるじ)「いかがさまでございましょうか?」
客(きゃく)「たいへん結構なお服加減でございます」
一座のクライマックスがここにあります。「主」は「客」に如何に「おいしいお茶」をお出しするかにのみ心をくだき、「客」は「主」のお茶をただ「おいしく」頂戴します。そこには何の「まじりけ」もありません。

「まあ、お茶でも一服めしあがれ」
と、趙州和尚からすすめられたお茶、さて、どのようにいただきましょうか?


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