◆ 違法コピーと禅 ◆

愚人の戯言 〜分かるということ〜

夢幻紡人

 P2Pという言葉をご存知でしょうか。これは正式には、『Peer To Peer(ピアー・トゥー・ピアー)』と言い、インターネットを介してコンピュータ(パソコン)間でデータを転送・共有する仕組みなのですが、この技術を使うと誰でも簡単に他のパソコン(PC)からデータをコピーすることが出来ます。P2Pでやりとりできるデータは、電子情報化できるものならば何でも可能で、文字は言うに及ばず、音楽やビデオ・写真・ゲームソフトなど、およそ情報と言われるありとあらゆるものが含まれます。そして、ここ数年、この技術を用いた違法なコピーが少なからぬ人たちによって行われており、大きな社会問題と化していることは、ご存知の方も多いのではないでしょうか。違法コピーが暗躍する理由の一つとして、専門的な知識がなくてもP2Pのアプリケーションをインターネットでダウンロードして手軽に使用できるうえ、少し勉強すればCDやDVDなどのコピーも簡単にできるという、その技術的敷居の低さがありますが、根本的には各人のモラルの問題といえます。

 恥をしのんで申し上げますと、1〜2年ほど前に私はこのP2Pにハマりまくっていました。それは丁度こちらの道場でお世話になる頃に、ある友人から紹介されたのがきっかけです。その頃、仕事面で問題を抱えていた私は少々退廃気味で、同じくうまく行っていなかった長い付き合いのN氏も同様でした。以前より彼からP2Pの話は何度か聞いていましたが、ある日、お気に入りの曲を取って興奮気味に話す彼の電話に私も興味をそそられました。P2Pのアプリケーションを自分のPCにインストールすると、元々PCに慣れていた私は直ぐにその使い方が理解できました。実際にやってみると、ISDN回線だったため多少時間はかかるものの、確かにMP3ファイルの曲がダウンロードできるのです! そして、取った曲を初めて耳にした時、その技術に感動すると同時に何か危険な香りがしたのを今でも良く覚えています。
 それからの私は、堰を切ったようにP2Pにのめり込んで行きました。初めは彼も私も音楽ばかり取っていましたが、次第に他の種類のファイルにも手を伸ばし始め、1年ほど後には映画やビデオなどの大容量のファイルを取るようになっていました。その頃になるとPCは毎日つけっぱなしで、あまり興味のないものまで根こそぎ取っていました。そのP2Pのアプリケーションは、自分の共有物の多い方が取る際に有利に働く仕様だったからです。いつしか私は、取ることそのもの、ファイルを集める事そのものが目的となっていました。コピーをさせてもらう以上相手があっての話で、そこには一定の駆け引きが要求されます。アンダーグラウンドな世界なりに暗黙のルールなどもあり、見方を変えれば、そのP2Pアプリケーションは、大量の著作物を違法な形でやり取りする世界を舞台にしたネットワークゲームでもあったのです。
 このP2Pによる違法コピー行為を行っている者は、私の交友関係上にはN氏ただ一人しかいませんでしたが、彼の交友関係上にはやっていない者が一人もいなかったために、自ずと行為に対する気持ちのズレが生まれ、その差は日ごとに顕著になっていきました。そして、彼と電話で話す度に必ずこの事で口論をするほど、いつしかその差は大きくなっていました。
 私はとても矛盾していました。自ら違法行為をしながら、その事実を認めない輩がとても許せなかった。自らの悪行を認めない己に対する不誠実さが私の癇に障ったのです。しかし実のところ、悪いと分かって悪行をすることほど愚かで自分に対して不誠実なことはないのですが、その時の私には分かりませんでした。N氏は私と違って罪の意識もほとんどなく、P2Pの話でも楽しく盛り上がりたかったようですが、私の口を突いて出てくるのは耳に痛い罪の意識に関わる話ばかり。自ずと会話は険悪な議論へと発展します。私が違法コピーによる市場崩壊の危険性を主張すれば、一方の彼は友人の話も引き合いに出しながら応戦してきます。今にして思えば、根底の問題を踏まえていない、全く浮ついた議論です。そのせいか、どんなに議論を尽くしても何かから言い逃れをしている感は拭えず、白熱する内容とは対称的に虚しい感覚がありました。たぶん、議論しても解決しないことを私は薄々感じていたのだと思います。
 最後には、公道をスピードオーバーする車のドライバーに自らを喩え、「うっかりやってしまっているのであって意図的ではない」という論陣を彼は張り始めました。もう馬鹿馬鹿しくて議論する気さえ起きなかったのですが、その浮き草のようなやりとりの中にも、いくつかは真剣な内容もありました。その一つが『分かる』という事に関するものです。
 P2Pの議論も下火になりつつあったある時、「分かってるけど、止められないんだよねー」と、彼は本音を吐いたことがあります。それこそ、その時の私の感覚に近いものでした。私も彼も欲に翻弄され、完全にP2P中毒となっていたのですから。しかし、『分かる』と言う事に多少なりともこだわりのあった私は、「俺もキミも分かってないと思うけどね…」と返さずにはいられませんでした。その答えに納得できない彼は予想通り言い返してきました。

「いや、分かってるよ。やっちゃいけない事ぐらい分かってるに決まってるじゃん! 分かってるけど、やっちゃうことってあるだろ?」

「その『分かってるけど』って言うのが分かってない証拠なんだよ。本当に分かってたら、そんな言い訳しないと思うよ。体得してれば言う必要ないから…。言い訳する限り、分かってないってことさ」

「…なんか言ってることが良く分かんないんだけど…」

 その後も何度かこの事に関して話す機会がありましたが、けっきょく理解しては貰えませんでした。このやりとりで何よりも痛いのは、私自身が悪行を重ねながらセリフを吐いている点です。実はこの時、行動と言動の矛盾による私の中の軋轢は極限にまで達していました。
 P2Pのアプリケーションにはチャット機能が大抵は付いていて、キーボードによって文字を入力することで他のユーザー達と色々な話ができるのですが、どの人も退廃的で「他人に分からなければ何をやっても構わない」という考えの持ち主がほとんどです。違法コピーをしている人達ですから当たり前と言えば当たり前なんですが、心からそう思えない私は彼らについて行けず、なにかとストレスを溜めていたように思います。
 このままでは自分との信頼関係が完全に崩壊するかもしれないという危惧を強く感じると同時に、とにかく楽な気持ちになりたかった私は、己への誠実をかけて、ある決めた日からきっぱりとP2Pを止めてしまいました。初めの一週間は大変苦しかったのですが、それを過ぎると少しずつ楽になって気持ちも晴れ晴れとしてきました。完全に私はP2P中毒だったのです。友人のN氏は、私が止められるとは思っていなかったようで、驚きを隠しませんでした。それぐらい酷い中毒だったということですが、私は自分の人生がかかっていることを強く感じていたので挫けることは選択肢になく、それは当然の結果でした。真剣になれば、人間は大抵の正しいことを出来るものなのです。

 P2Pに夢中の頃の私はあまり熱心には坐禅をしませんでしたが、それでも時々思い立ったように坐り、自らを冷静に見つめる時間を持つことがありました。罪の意識から最後まで逃げないように心がけられたこと、きっぱりとP2Pを止めることが出来たことは多分にこの坐ることが関係しているかと思います。というのも、身体の姿勢を正すと精神の姿勢も正しくなろうとする力が自ずと働くからです。道号も得ていない私がこのような大それた事を言うのもどうかとは思いますが、これは誰でも体験的に実感できることではないでしょうか。一般的に昔から「苦しい時こそ卑屈に屈まず、胸を張れ!」などと言いますが、これは実に的を射た言葉です。気持ちから入れないなら、まず身体から入ってみる。
 もし今、貴方が精神的にまずい状態にあるとしたら、ほぼ間違いなく肉体なり精神なりの曲がった姿勢による誤った行動が原因です。身を正してみてください。それだけで正しい事をできる気がしてくるはずです。

平成17年2月2日 記
追記:
残念ながらN氏及びその友人たちは、今もP2Pによる違法コピーを止めることができず、以前にも増して精神的に良くない状態になって来ています。なんとかしてあげたいのですが、自分からあきらめてしまっている人を救うことはできません。自分を律し続けるという事は、自分にあきらめないという事と同義なのだと私は思います。

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