| 五燈会元鈔講話 |
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およそ我々人間禅の禅者の眼中には、臨済宗の曹洞宗のという沙汰は無い。有
るのは唯だ禅道仏法だけであるが、強いて探ぐれば、わが人間禅は臨済宗の法系
に属している。今回から暫く、その臨済宗の宗祖・臨済義玄禅師の伝記とその宗
風とを、『五燈会元』よりは、むしろ『臨済録』に拠って講じて参ろうと思う。
後の臨済和尚の義玄は、今日の山東省の曹州国の地に生まれ、若くして出家し
、持戒堅固な僧としての生活を送っていたが、平凡な僧侶としての毎日にあきた
らず、求道の志やみがたいものがあった。そして揚子江中流の江西や湖南の地方
に、坐禅によって頓悟成仏をはかる禅宗が栄えていると聞いて、山東から遥々と
旅をつづけ、江西の黄檗山に到り、黄檗希運和尚の会下に連って、禅僧としての
修行生活に入った。そして三年たった。講本はそこから始まっている。
その劈頭に「師、始め黄檗の会下に在つて行業純一なり」とある。古来、お
よそ禅の修行をやりぬくには、知識や財産は無くともよいが、少なくとも大疑団
・大憤志・大信根の三つだけは是非とも必要だといわれている。釈迦は一切の衆
生は皆悉く仏性を具えているという、して見ればこの煩悩具足の自分にも仏性が
具わっている筈、自分に本来具わているという仏性とはどいつであろうか。人間
は必ず死ぬものであるが、その生とは何ぞ、死とは何ぞ。折角生まれて来た人生
、それをどう生きることが生き甲斐のある生き方であろうかなどという、人間と
して生きる上のこれらの根本的な疑いを持つこと、これを大疑団を抱くといい、
これが修行の原動力である。
しかし大疑団を抱いたら、それを解決のために全力を尽くして当るべきである
。といってその解決――開悟は容易なことではない。そのために折角、修行に志
しながら、途中で挫折して退転してしまう者の多いことは、諸士も見ている通り
である。その場合「釈迦も達磨も人なり。臨済も白隠も人なり。我もまた人なり
。彼らに出来たことが自分に出来ぬことはない。彼らが一年で出来たことを、自
分は十年かけてでも断じてやり抜くぞ」という気概をもって退転しないことが必
要である。これを大憤志ないし大勇猛心といい、人生万事何をやるにも必要なも
のだが、禅の修行に於いては特に肝要なものである。そして禅の修行において、
もう一つ大切なのは、大信根である。といってそれは、「鰯の頭も信心から」な
どという安直な信や、迷信・妄信では無論ない。
この宇宙と人生には不易絶対な真理が有り、釈尊はその真理を体得し、不
動の悟りを
把得された。その釈迦の悟りと悟りの手段とが歴代の祖師方によって滴々相
承されて、今
この師家において肉体化されている。この正脈の師家に就いて如法に修行すれ
ば、自分も釈尊と等しい悟りを体得することが出来る。
という大法と師家に対する揺がない信、これを大信根というのである。この
信は世間万事において大切なものだが、禅の修行においては特に、「信無くんば
立たず」で、これ無くしては命がけの禅の修行は出来ない。この点は、徹底自力
の禅宗も徹底他力の浄土真宗の場合も共通である。
以上の大疑団・大憤志・大信根の三つ、いわゆる「学道の三則」を堅持して
、素直に純粋に修行に励むこと、それを「行業純一」というのである。そして若
き日の臨済はまさに文字通り行業純一であり、正直で純真な修行者であった。両
忘庵釈宗活老師は、その著『臨済録講話』の冒頭で、
将来に於ける臨済将軍の禅風、五逆雷を聞くの臨済禅も、畢竟は皆、此の
行業純一から 発して居る。此の三年間の行業純一が、将来の臨済という大宗匠
を生み出したのである。
と説いておられるが、まさしくその通りであり、これは我々修行者の深く肝に
銘ずべきところである。そしてその「三年間の行業純一」振りをよく語るのが、
本則のこれ以下のところである。詳しい講説は、両忘庵老師の『臨済録講話』に
譲って、その大筋をザーッと講じて行こう。
義玄上座が黄檗山にやって来た頃、首座としてその禅堂を統率していたのは
、黄檗の法を嗣ぎ聖胎長養をしていた陳睦州 和尚であった。後にあの雲門文偃
の向う脛をべし折って、彼の大悟の機縁を作ったことで名高い睦州和尚である。
そもそも首座(直日)というものは、禅堂の一番上座に坐って皆に号令をかけ威
張っているだけが能ではない。修行者一人びとりの修行の態度を観察し、彼が今
どんな事で苦しみ悩んでいるかを看破して、彼らを適切にリードし、師家の教化
を扶持してこそ立派な首座というものである。陳睦州はもとより名首座で、その
点に抜かりのある筈はない。多くの修行者をつらつら観察しておって、「是れ後
生ないと雖も、衆と異なるところ有る」一人の若い修行者が目についた。この僧
こそは若き日の臨済、義玄上座である。「こやつ、若いが修行態度が純真で裏表
がなく、他の修行者と較べてその気迫も一段と充実しておる。この若者、見どこ
ろが有るわい」と看破して、或る日のこと、彼に話しかけた。
上座、此に在ることの多少の時ぞ。師云く三年。首座云く、曽て参問すや
也た無しや。 師云く曽て参問せず、箇の什にをか問うを知らず。
「上座よ、お主ここへ来てから何年になるか」「はい、三年になります」「
ほほう、そうか。その間に和尚の室内に入って独参したことがあるか、どうじゃ
」「いいえ、一度もございません。何を問うてよいやら、分らんからです」とい
う答えである。しかし、既に郷里の寺で僧としての教養を一通り身につけ、黄檗
の会下に来て三年間坐禅をやり、講座を聴聞し、熱心に修行している。それなの
に、「何を問うてよいか分らぬ」とは、いったいこれはどういう仔細であろうか
。下読みの時に、こういう所こそ大いに疑問をもって、工夫しておくべき所だが
、久参の者はどう工夫しておいたか。義玄上座、禅の見性のことは法理としては
よく分っており、しかもその法理では役に立たないことも、よく分っている。し
かも、修行の態度が純真でまやかしがないだけに、参禅のしようが無いのである
。諸士はそもそも入室参禅とはどういう営みだと思うか。悟りを「教わり」に行
くのでは無論ない。自らの見解の正邪・深浅を勘別してもらいに行くのである。
従って自らに自信のある見解の無い間は決して参ずべきではないのじゃ。お主ら
の中には、それだけの見解が出来ておらぬのに、ヒョコヒョコ入って来るものが
あるが、これは大いに慎まねばならん。義玄上座、よく坐って、いわば窮しきっ
た。大死一番の所までは行っておるが、まだ自信をもって参ずべき見解が出来て
おらぬので参禅せずにおり、それを「箇の何を問うかを知らず」と答えたのであ
る。まことに純真である。この返事を聞いて、睦州首座「こやつ、よく骨折って
るワイ」と看破し「汝、何ぞ去って堂頭和尚に、如何なるか是れ仏法的々の大意
と問わざる――堂頭和尚即ち師匠黄檗和尚の室内に入り、仏法的々の大意、禅道
仏法のギリギリの所、悟りとは如何なるものでござるか」と、こう問いなされと
方便をめぐらした。こう指示されて義玄上座、素直に睦州の指示のままに黄檗の
室内に入り、「如何なるか是れ仏法的々」と問うたら、その言未だ終らないのに
、いきなりピシャリッと黄檗の一棒を頂戴した。この一棒、賞棒である筈はない
が、さりとて罰棒でもない。それでは何の棒じゃ。ここが工夫の眼目である。こ
の時の義玄上座にも勿論その棒の真意が分らなかった。いきなり一棒くらわされ
てションボリとして禅堂に戻って来た。これを見て、
首座云く、問話そもさん。師云く、某甲、声未だ終らざるに和尚便ち打つ
。某甲会せず――あなた の仰せの通りに仏法の大意を問いましたところ、其
の声未だ終らないのに、ビシャリと打たれま した。私には、何の事か分りま
せん。という返事。それを聞いて「首座云く、但だ更に去って問え――それ位の
ことでベソをかくやつがあるか。前の通り、又、〈仏法的々の大意は如何〉と参
じて来い」と首座の激励である。義玄はこう言われて、言われるままに素直に又
参禅した。すると此の度もまたビシャリッと打たれた。義玄いよいよ分らなくな
ってしまい、ボソーッとうなだれて戻って来た。睦州、又打たれたなと分っては
いるが「どうじゃった」と問うと、義玄「ハイ、又、何もいわずに打たれました
」と萎れ返っている。義玄がいよいよ二進も三進も行かない窮しきった場にはま
りこんでいるのを鋭く看破して、睦州ここぞとばかり、「二度打たれ、振られた
位で挫ける奴があるか。もう一度行って来い」と、更に激励した。しかし、結果
は同じで「是くの如く三度問うて三度打たれる」で、いよいよ途方に暮れ、意気
悄沈して戻って来た。
それにしても若き日の臨済の行業の純一さ、又、黄檗和尚のこの徹底した真
切さ、ただただ脱帽のほかはない。黄檗のこの三度の棒は、先きにもいったよう
に、罰棒では無論なく、親切極まる直指の一棒なのであるが、この時の臨済には
それが分らなかった。しかし、列座の諸士、とりわけ久参底の諸士、この棒の真
意が本当に分ったかどうか。
およそ生れるときから立派に出来ている人間などというものは、そう有るも
のではない。お互い同様初めは皆迷える凡夫じゃ。後には臨済禅師と仰がれ、臨
済宗の宗祖となる義玄上座も、こう「三度参じて三度打たれては」、すっかり落
ちこんでしまい、睦州首座に向って、「幸いに(和尚の)慈悲を蒙って、某甲を
して和尚に問訊せしむ。(しかし)三度問いを発して三度打たる。自ら恨む、障
縁有って深旨を領せざることを。今且らく辞し去らん」と、黄檗の会下を暫く辞
去しようと涙ながらに決意を表明した。現代の我々、とりわけわが教団では、現
世の不幸は前世の罪業の報いだなどとはいわないけれど、今から千年以上も前の
唐代の頃には、そういう考えが一般的であった。香厳智閑もいくら参禅しても悟
れず、い(人偏+為)山の許を辞去する時、そういう意味の言葉を吐いていたが
、今、義玄上座もまた「自ら恨む、障縁有って深旨を領せざることを」と泣き言
を吐いている。これを聞いて睦州首座云く「汝、若し去る時は、須らく和尚に辞
して去るべし――お主がこの黄檗山を辞して行脚に出かけるというなら、それも
よかろう。敢えて留めはせんが、黄檗和尚にご挨拶してから出かけろよ」と注意
した。すると義玄、素直に「ハイ、そう致します」と礼拝して退いた。
睦州首座、義玄にこう指示しておいて、「首座、先きに和尚の処に到りて云
く、問話底の後生甚だ如法なり。若し来って辞せん時は、方便して彼を接せよ。
向後、穿鑿して一株の大樹と成さば、天下の人のために蔭凉と作り去ること在ら
ん」と、黄檗和尚に進言した。今更これの解説もいるまいが、この座には新到も
連なっているようだから、敢えて解説すれば、
先刻入室して「如何なるか仏法的々の大義」と三度問うて三度打たれた若僧
を和尚は覚えていらっしゃるでしょう。あの若僧は近頃珍しい純真で如法な修行
者でありますが、当山を退去して行脚に出かけたいと申しております。明日、そ
のご挨拶に参上する筈ですが、参りましたら何卒宜しく方便をめぐらして下さい
。彼は今後、よく手入れをし育てるならば、すばらしい大樹となり、天下の人び
とのために一大蔭凉となる人物だと愚考するからであります。
というようなことである。「穿鑿」とは彫刻する、鍛練するという程の意味
であるが、ここでは「大樹」であるから、よく肥料をやり手入れする位の意味に
とっておいてよかろう。次ぎに「蔭凉」とは、炎天下の広野に亭々と聳え、四方
に大きな日蔭を作り、旅人に涼しい憩いの場を提供する大樹のこと、人間だけで
なく、空飛ぶ鳥たちにも水飲み場とねぐらとを提供する大樹や、砂漠の中のオア
シスのことである。総じて迷い疲れた衆生のために、このような蔭凉となること
、それが宗教家別して菩薩の使命である。義玄が将来すばらしい大宗教家になる
であろうことを予言した言葉である。それはともあれ、首座といい直日たる者は
、大衆に対し、まさにこの睦州首座のように細やかな行届いた心遣いを持つよう
心がけるべきである。この支部にも公案が透らず挫折しかけているもの、色々な
事情で退転しかけている者があるだろうが、直日や支部長は彼らに逢って其の事
情をよく聞いてやり、激励したり相談に乗ってやるがよい。しかし、どうしても
やめたいという者がある時には、「そうか、それにしても、老師にお目にかかり
、ご挨拶してからにしなさい」と指導しておくことだ。脱線を承知の上で脱線し
ておく。
扨て翌日になって、義玄上座「永らくお世話になりまして有難うございまし
た。今般、思う所がありまして当山を離れ、行脚に出かけることに致しました」
と挨拶に参上した。昨日の首座の進言で、あらかじめこの事を知って方便を工夫
していた黄檗、「お主、この山を下って行脚に出かけるそうじゃが、高安灘頭の
大愚和尚の処に行って、そこに掛錫しなさい。其のほかの寺に行ってはならぬぞ
。大愚和尚なら必ずや、本当にお主のためになる指導をして下さるだろう」と指
示された。ちなみに大愚という和尚は、南岳の法系の帰宗智常の法を嗣ぎ、今日
の江西省瑞州の高安に住していた有力の宗匠である。義玄上座はこの時もまた黄
檗の指示のまま素直に、高安の大愚和尚を訪れた。すると当時の禅界一般のなら
いのままに
大愚問う、什もの処よりか来る。師云く、黄檗の処より来る。大愚云く、黄
檗何の言句か有りし。 師云く、某甲、三度、仏法的々の大意を問い、三度打
たる。知らず、某甲、過有りや過無しや。
と初相見の問答が展開された。ここで見逃してならないのは、義玄が「知ら
ず、某甲、過有りや、過無しや」と言っていることである。後に臨済禅師となる
義玄も、この時はなお、三度問うて三度打たれたのは、自分に何か落度があり、
その罰で打たれたものと思いこんでいることである。迷っている間というものは
、仕様のないものだが、これを聞くと大愚和尚、「黄檗、与もに老婆心切なり。
汝が為に徹困なることを得たい。(然るに汝)更に這裏に来って有過無過と問う
――黄檗和尚はなんとまあ老婆心の切実なことよ。お主のためにそこまで親切に
指示して下さるとは。まさに身に余る親切というものだ。それなのにお主はその
親切な指示、三度の棒の真意が呑みこめず、儂の処へ来て過有りや無しや、どこ
が悪かったのでしょうかと問うている。〈親の心、子知らず〉とは貴様のことじ
ゃ」と、思わず叱咤された。と、その途端に「義玄、言下に於いて大悟」し、ま
るで別人のように生まれかわった。これは大愚和尚の力によるのではない。永年
の行業純一な修行によって、義玄の禅定力・三昧力が熟しきっていたからである
。たとえが、いささか汚いが肉体の出来物がよく熟んでくると、針の先端が当っ
たか当らぬに出来物が破れて、膿がモロモロと溢れ出てくるように、禅定力さえ
熟していると、ちょっとした刺戟で、これ迄どうしても破れなかった堅い公案の
殻が、何かの拍子にカラリと破れて悟りが開けるものである。大愚の言句は、そ
の針の役割をはたしたにすぎないのだ。
それはそうと、つい今先きまで「知らず、某甲、過有りや過無しや」などと
泣き言をいいションボリしていた義玄、大愚の言下に大悟するや否や、言うにこ
とを欠いて「元来、黄檗の仏法、多子無し――黄檗の仏法はさぞかし玄々微妙な
ものだと思っていたが、なーんだ、こんなものか、大したものじゃないわい」と
吐かした。更にいえば、「仏法的々の大意、禅の悟りというものは、高尚難解で
特別なものだと思っていたが、案に相違して平凡尋常なものじゃわい」と吐かし
た。すると「大愚、すう住 して云く、這の尿牀の鬼子、適来、有過無過と道い
、如今却って道う、黄檗の仏法多子無しと。汝、箇の什ゥの道理をか見る。速や
かに道え、速やかに道え」と迫った。大愚、義玄の胸倉をグイッとつかんで、「
この小便垂れ小僧め。つい今先きまで過有りや無しやなどと泣言をいっていたの
に、その舌の根も乾かぬうちに、こんどは〈黄檗の仏法、多子無し――禅の悟り
なんて大したものじゃないわい〉と吐かしている。いったい〈箇の什もの道理を
か見る――何をどう悟ってその言が出た〉、さあ、どう悟ったか、道え、道え」
と形相すさまじく迫ってきた。しかし、この時、義玄少しも騒がず「大愚の肋下
を築くこと三挙した――大愚和尚の脇腹をコツンコツンと軽く三つ突っついた」
〔老師、ここで手にしておられる笏で、見台を軽く三つ叩かれた〕。これはいっ
たい何の消息か。どういう意志表示か。先きの黄檗の棒とこの三挙と孰れぞ。是
れ同か是れ別か。大愚、脇腹をコツコツコツと三挙されて、「ウン、これなら行
けてる」と判断し、さて義玄をボーンと托開しておいて「汝の師は黄檗なり、我
が干かる事に非ず。――お前の師匠はやっぱり黄檗じゃ。お主のこの悟りは、黄
檗の棒のお蔭であって、儂の知ったことじゃない。まごまごしておらんで、黄檗
の許へトットと帰れ」と言われた。大愚には、すぐれた修行者だから他所へやる
まい、などというケチな料見は微塵もない。まことにきれいなものじゃ。
さて義玄上座、黄檗の棒の真意がよく分り、その親切が身にしみたものだか
ら、大愚の「トットと帰れ」という言葉を素直に受けて、「大愚を辞して却回し
」、戻って来て、唯今戻りましたと黄檗の方丈へ挨拶に参上した。すると黄檗「
箇の漢、来々去々して什もの了期か有らん――貴様、つい先日当山を辞して大愚
の処へ行ったと思ったら、忽ち戻って来たが、そのようにあちらの道場、こちら
の道場とウロつき廻っていたのでは、絶大な信に裏づけられた本当の悟りには、
いつ迄たっても到達できないぞ。〈我れ今日在ることを得たり〉という大満足・
大安心の境涯を得ることは出来ないぞ」ときめつけた。確かにその通りだ。方々
の禅堂を渡りあるき、師家の室内を覗き見して「あの師家の室内はこうじゃ、こ
の師家の室内はああじゃ」などと、偉そうに評判している禅学者がおるが、その
ような信の無い修行では、大道の真の体得は到底覚束ない。このこと、よくよく
肝に銘じておくように。
それはそうと、黄檗からこうきめつけられて、義玄、それを軽く受け流して
逆らわず、「祗だ老婆心切なるが為なり――ハイ、和尚の御親切が身にしみて分
ったので戻って参りました」といって、再入門を許すとも何とも言わないのに「
人事し了って侍立」してしまった。ここで「人事」とは挨拶すること、「侍立す
」とは、侍者の居るべき定位置、師家の左斜め後に控えることで、義玄いわば自
分免許で黄檗の侍者になってしまった。泣き言をいって山を下った頃と全く面目
一新である。さて黄檗、やおら義玄の方を振り向いて、「お主、どこへ行って来
たか」と問うと、「ハイ、和尚の御指示のままに高安の大愚和尚の処へ行って参
りました」との返事。そこで「大愚、何の言句か有りし――大愚、どんな説法を
したか」と問われると、義玄、大愚の処での顛末をありのままに話した。すると
、黄檗「大愚の饒舌、(彼の)来るを待って痛く一頓を与えん。――大愚のおし
ゃべり奴、いらざるお節介をしおって。奴がこの次来たら、コッ酷く三十棒を食
らわしてやろう」と大変な権幕である。しかし、これは言葉の表面とは裏腹に「
いや、適切な指導をして下さって有難う」という感謝の思いがこめられているの
である。およそ禅者の言葉というものは、表面をなぞったのではその肚は分らん
。「抑下の卓上 」という場合もあり、その反対の場合もある。ここは「口でけ
なして心でほめる」という抑下の卓上である。
黄檗が「大愚の饒舌、来るを待って痛く一頓を与えん」と言うのを聞くや、
義玄「なんぞ来るを待って説かん。即今便ち喫せよ――和尚よ、大愚和尚がお出
でになるのを何も便々と待つ必要はございません。即今唯今、思いきって三十棒
を食らわせましょう」といって、後ろから黄檗の横っ面をビシャリと打った。大
愚と黄檗と不二、同じ穴のむじながここにいると見てのことで、これなら彼の悟
りは確かであり、真正である。これはもとより大道の商量の場に於いての事であ
る。お主ら、下手に真似などしないように。
自分免許の侍者義玄からピシャリと一発やられて「黄檗云く、這の風頓漢、
這裏に却来して虎鬚を桴ず――この気ちがい坊主、ここに戻って来て、又泣き言
でもいってベソをかくのかと思ったら、虎の鬚をひっぱるような真似をしやがる
……」というや否や、義玄「カーッ」と一喝を吐いた。〔老師、怒雷のような一
喝を吐かれる〕。これが、後に「徳山の棒」と並んで有名になる「臨済の喝」の
吐きはじめである。先きの一掌に加えて、今この喝を聞いて、黄檗和尚「侍者よ
、這の風頓漢を引いて参堂し去らしめよ――侍者よ、この気ちがい坊主を僧堂に
連れて行って、單即ち坐る場所を与えてやれ。彼の参禅を許可する」と言われた
。これは義玄の悟境を大いに肯った語である。「大丈夫、三日見ざれば、刮目し
て見るべし」という語があるが、義玄の如きはまさにこの語の通りで、純一無雑
な修行によって一旦悟りを開くや、全く別人のように生まれ変り、素晴らしい道
力を身につけて堂々と登場してきた。諸士もこういう活きいきとした悟りを開き
、活溌々地の機用を得るように、若き日の臨済を模範として、純一無雑に修行に
うちこめ! 摂心は今や最中、全員打って一丸となって驀進せよ!
大愚の許から黄檗の会下に却回して後の義玄の修行振りは、活溌々地ながら
も依然行業純一、真剣其物で、従ってその悟境の向上は目ざましいものがあった
。その詳細は今は省略するが、遂に黄檗の法を嗣ぎ、その印可を受けるに到った
。本則はその嗣法の因縁の一則である。しかし、この一則はわが教団では『臨済
破夏』と題し、末後向上の一則として扱っているものであるから、その真味の味
わいは室内の研鑚にゆずり、ここでは一通り講ずるにとどめておくほかはない。
およそ唐代の禅寺では、インドの仏制に倣って、陰暦の4月16日から7月
15日までの90日間を夏安居と称し、禅僧たるものは必ずどこか最寄りの禅寺
に寄宿し、門外不出で修行に専念すべきものとされていた。そしてこの夏安居に
参加する者は、おそくも夏安居の始まる前、即ち結制迄に必ず寺に入り、七月十
五日、夏の終る迄は寺を去ってはならぬ定めであった。ところが臨済、どこをど
う行脚していたものか、この仏制に従わず、夏安居の始まって暫くたった夏の半
ば頃、ここにいう「半夏」に黄檗山にヒョッコリ上参して来た。丁度その時、黄
檗和尚は熱心に看経、即ち経文をムニャムニャと読誦しておられた。これを見て
臨済思わず「我れ将に謂えり、是れ箇の人と。元来、是れシ黒豆の老和尚」と口
走った。その意味は「儂は今の今まで、わが黄檗老漢こそ世間一般の僧とは異な
る別格の偉い方だと思っていた。だが今来てみれば、何のこったい、そこら辺の
僧侶と変らぬ経文読みの老和尚に過ぎないとは」ということである。ちなみに「
あん黒豆」とは「黒豆食い」という意味で、経文の文字が黒豆をならべたように
なっていることから「看経」をさしていうのである。この一語は師匠の黄檗を罵
り揶揄したもので、非礼というべきであるが、臨済は勿論単に「見そこなった」
という幻滅感からこの語を吐いたのではない。では、この一語を吐いた臨済は、
この場合、どういう見地に立っていたのであろうか。ここが本則に於いて究明す
べき第一点である。サー、どうじゃ〔老師、大衆をズーッと見まわさる〕。
臨済は仏制に反して、夏安居の半ばに黄檗山に上って来たのであったが、数
日とどまっただけで山を下ろうとして、暇 を告げに黄檗の許にやって来た。こ
れは無論、仏制違反である。そこで黄檗「汝、夏を破って来り、夏を終えずして
去る」とは、仏制違反で不心得も甚だしいととがめた。それに対して臨済「某甲
、暫く来って和尚を礼拝するのみ――私が山に参りましたのは、別に夏安居に参
加するが為ではありません。ただ久し振りに和尚の尊顔を拝したいがためだけの
こと、それも相済みましたので下山しようというわけです」と、答えてすまして
いる。臨済はもとより夏安居の制が有り、自らの行為がそれに違反するものであ
ることは百も承知の筈、しかもその「破夏」を敢えて平然とやろうとしたのは、
どういう料見からであろうか。ここは大いに吟味してみる必要のある所である。
私はここの臨済の料見をこう見ている。
およそ大修行底の禅者は、戒律も規矩をも高く超越し、それらに縛られるこ
とはない。自分は今やまさにその大禅者の境涯に達しており、夏安居の規則など
にはとらわれない。
という自負が、彼をしてこの破夏を敢えてさせたのではなかろうか。しかし、
この自負はやがて慢心に通ずるもので、微小だとはいえ心の瑕であり、これが有
っては大器は成就しない。黄檗和尚、これを看過する筈はない。果然、ビシャリ
ッと臨済を打ちのめした。この「打つ」は臨済を肯わないので打ったもの、いわ
ば罰棒である。しかし黄檗、打っただけでは納まらず、怒りを面にあらわして、
彼を山門の外まで追出してしまった。追い出された臨済はそのまま数里行ったが
、いつもと変る師の怒りの形相が目に浮び、「師はなぜ、あそこまで怒られたの
か、自分のどこに非が有ったのか」という大疑団が湧き起ってきた。そこでこの
疑団を解決せずにおれなくなって、途中から黄檗山に却回した。そして熱心に修
行に努め、夏安居を終えた。我を張らず途中から却回したところは、流石に臨済
であり、これ有るが故に後の臨済禅師が有るといって過言ではない。
次に「臨済、一日、黄檗を辞す」とある。夏を終えた臨済は、黄檗の処へ下
山の挨拶に赴いた。すると黄檗「お主、これから何処へ行くつもりじゃ」と問う
た。すると臨済云く「是れ河南にあらずんば便ち河北に帰らん」「ハイ、河南で
なければ、河北に帰ることになるでしょう。足の向いた方に行くつもりです」と
答えた。臨済としては、行雲流水のような自由無礙な自らの悟境を正直に披瀝し
たつもりであろうが、そこに一抹の気取り、普通の人なら気のつかぬような、微
かな臭みがなお残っている。それを見逃す黄檗ではない、そこで又ぞろビシャリ
と打った。臨済打たれて最後の臭みがとれ本当の無心になった。その途端どうじ
ゃ、臨済「約住して一掌を与う」で、いきなり黄檗の胸倉をつかんでビシャリと
打ち返した。これは勿論、世間底の人情感情からではない。「棒下の無生忍、機
に臨んで師に譲らず」という語があり、又「父に迷子の訣有れば、子に打爺の拳
有り」という語もあるが、まさにその「打爺の拳」である。
ところで、弟子に打たれて黄檗、満面に朱をそそいで怒るかと思いきや、さ
も我が意を得たりとばかりに、腹の底から呵々大笑して、さて侍者を喚び「百丈
先師の禅版・机案を将ち来れ」と命じた。かつて自分が先師百丈和尚から、嗣法
の徴しとして付授された禅版と机案(どちらも坐睡する時に体を支える木製の道
具)とを持ってこいというのである。それを伝法の徴しとして、今度は臨済に付
授しようというのである。それを聞いて臨済、嬉しがって三拝九拝でもするかと
思ったら「侍者よ、ついでに火も持って来い」と叫んだ。「そんなものは真平御
免じゃ」という肚であり、古人はそこを見て「好児、爺銭を使わず」と著語して
ござるが、よく味わって見なされ。これに対して黄檗和尚、おだやかに、「然も
是くの如くなりと雖も、汝、但だ将ち去れ。已後、天下の人の舌頭を坐却し去る
こと在らん――確かにお主のいう通りじゃがな、まあ、黙って持って行きなされ
。お主が儂の正脈の法嗣であることに就いて、他日、人をしてとやかく言わせな
い為じゃ」と言われた。これで、歴代の仏祖が正伝してこられた大法を荷担した
一人の仏祖、臨済義玄禅師が堂々と誕生した。
本則、簡単にやるつもりだったが、思わず長くなってしまった。禅家におけ
る最後の仕上げというもののきびしさ、又、師匠からいえば伝法、弟子からいえ
ば嗣法というものがどういうものか、久参の者はよく拝んでおくように。ハイッ
!
本則は、わが教団では『瓦筌集』に『瞎驢滅却』と題して採録し、重視して
いる公案の一つである。その深甚な宗旨は参じて体得するほかはないが、一通り
の意味だけでも講じておこう。ここに「臨済、遷化に臨み」とあるが、先ずこの
「遷化」について私見を述べておきたい。遷化という語は僧侶、とりわけ偉大な
禅僧の「死」に用いられる語で、入滅・滅度・順世・円寂などと同義語である。
その語の由来は、これ迄この娑婆世界で衆生を教化していたが、今やその化縁が
尽きて、その教化の場を他の世界に遷すという意味だと解説されている。しかし
「教化の場を他の世界に遷す」などというと、この現世のほかに別に世界がある
、来世が在るのを前提することになるので、私はこの「遷化」という語は使いた
くない。私はこれに代えて「帰寂」という語を使っている。では、死を帰寂とい
うのは何故か。
およそ我々人間をはじめ一切の生物は、深海のような寂然不動・無限絶対の
場から、衆縁和合して、あたかも水の泡のようにヒョッコリと相対の相をとって
此の世界に現われ、しばらく光り輝いているのであるが、それが生である。しか
し水の泡がやがてポイと破れて元の水に帰するように、又もとの寂然不動の場に
帰って行く、それが死である。寂然不動の場から来て、又もとの寂然不動の場に
帰って行く、それが人間の一生である。その意味で死は帰寂とよぶのが最も適切
だというのが、私の考えである。
臨済大和尚と雖も人間であり、死を免れることは出来ない、いよいよ寂然不
動の世界に帰る即ち帰寂の時を迎えた。すると臨済、今まで床に横たえていた体
を起し、居ずまいを正して坐り直した。即ち拠坐した。その床の周りには、法嗣
の三聖慧然をはじめ弟子らが侍っていた。床の上に坐り直した臨済、やおら弟子
たちを見まわして「吾が滅後、吾が正法眼蔵を滅却することを得ざれ――儂の帰
寂した後、儂の護持して来た大法を滅却するようなことがあってはならぬぞ」と
、おごそかに宣せられた。ここに「正法眼蔵」とは、かつて釈尊が例の霊鷲山に
おける「拈花微笑」の大説法の後、「我れに正法眼蔵、涅槃妙心、実相無相、微
妙の法門有り」といって、迦葉に伝えられ、爾来、インドの二十八祖、達磨大師
によって中国に伝えられ、やがて六祖慧能を経て南岳−馬祖−百丈−黄檗そして
臨済へと相承されて来た大法のこと、わが教団の『立教の主旨』にいう「仏祖の
慧命」のことである。この嫡々相承されて来た大法、仏祖の慧命を断絶せしめる
ことなく、いよいよ進展させること、それが師家たる者の最高の使命であり、最
大の責任である。帰寂に臨んで臨済が「吾が正法眼蔵を滅却させてはならぬ、大
いに進展せしめよ」と遺言されるのはいかにも尤もなことである。
この遺言を承って、その場にいた弟子たちの中で大先輩格の三聖慧然が一膝
乗り出して、「争でか敢えて和尚の正法眼蔵を滅却せん――和尚が命がけで護持
して来られた大法、必ず護持して参ります。滅却するなどということは決して致
しませんから、何卒ご安心下さい」と言上した。しかし臨済はこれだけでは納得
せず、安心せず「已後、人有って汝に〈如何なるか是れ臨済の禅〉と問わば、汝
、他に向って什んとか道わん」と念を押した。凛々たる威風、帰寂に臨んで些か
も衰えずだが、臨済がこう念を押すや否や、三聖、間髪を容れずカーッと一喝吐
いた〔老師、大喝一声なさる〕。まさに「日月も照臨し到らず、天地も蓋覆し尽
さず」という一喝である。
「徳山の棒、臨済の喝」といわれるように、喝は臨済の命であり真骨頂であ
る。三聖はこの時には既に臨済の肚をソックリ我がものとして、彼の法を嗣いで
おり、今、この場に臨んで師の真骨頂を自らのものとして肚の底から吐きだした
のである。臨済、この一喝を聞いて「これなら、よーし」と安心したに違いない
のに、あたかもこれを肯わないかのように、「誰か知らん、吾が正法眼蔵、此の
瞎驢辺に向って滅却せん――儂の大法も、この盲目の驢馬、耄碌弟子の代で滅び
てしまうわい」と、最後までいわゆる「迷子の訣」を振るわれた。だが、この語
の真意はどういうことであろうか。およそ大法というものは、「大馬鹿者」でな
ければ到底荷担出来ないものである。ここに「瞎驢」とはその大馬鹿者の謂いで
ある。従って臨済のこの語は、三聖を大いに肯い、自らの安堵の思いを逆説的に
表現したものである。毎度申すことだが、禅の語録を読む場合には、文字の表面
にとらわれず、その肚を看破することが、何よりも心すべきことである。
それはともあれ、臨済、三聖のこの一喝を聞いて「これならば……」と安堵
し、その思いを逆説的に表現し終って「端然として示寂」された。『臨済録』の
「行録」の最後に添えられた「臨済小伝」によると、時に唐の咸通八年の一月十
日のことであった。但し、臨済の生年が不詳なので、時に何歳になっていたかは
分らない。 なお、この三聖慧然は臨済院とさほど隔 っていない鎮州の三聖院
に住していた有力の僧であるが、嗣法の弟子の無いままに帰寂してしまった。そ
こで三聖の後輩にあたる興化存奬が臨済の正脈を嗣ぐことになるのであるが、そ
れはやがて「臨済宗の展開」の章で触れることになろう。
臨済義玄は黄檗希運に嗣法した後、暫く諸方の尊宿を歴訪していたが、いつ
の頃からか河北省の鎮州に居を定め、同地方のいわば知事の任にあった通称を王
常侍という王敬初居士の帰依を受け、その援助でk陀川のほとりに臨済院を創建
し、そこを根拠に大法を挙揚していた。ここにいう「上堂」とは、その臨済院に
おける上堂説法のことである。なお上堂とは七堂伽藍の一つである「法堂に上る
」更にくわしくいえば、「法堂の講座台上に上る(陞る)」ことで、「陞座」と
もいう。臨済或る時、その上堂をして「赤肉団上、一無位の真人有り――汝らの
その五尺の肉体上に、これ以上尊い者はない真人が宿ってござる」と、禅の玄旨
を端的に示された。「赤肉団」とは切れば血も出るこの肉体のことであり、「無
位」とは「無価の珍宝」の無価などと同じく、人間社会の相対的な物指では計る
ことの出来ない絶対無上の位ということである。「無位の真人」とは、仏に在っ
て増さず、凡夫に在って減ずることなく、万人に本来具わっているという仏性の
こと、六祖のいわゆる「本来の面目」のことである。お互いが坐禅するのは、要
するにこの本来の面目、無位の真人をはっきりと見得し、これをスクスクと育て
んがためである。
この無位の真人がこの五尺の肉体に宿っており、「常に汝等諸人の面門より
出入す」というのである。この肉体と共にあり、眼耳鼻舌身意の六根から常に出
入し、いつも形影相伴うているというのである。悟ってみれば正にその通りなの
であるが、悟らないうちは「百姓は日々に用いて相知らず」で、一向にそのこと
に気づかず、その尊貴をけがして下劣の漢となっている。それでは申訳ない話だ
、行住坐臥共に一緒であるその無位の真人に、はっきりとお目にかかったことの
ない者は、さあ看よ看よ、トックリと拝めといって、臨済、講座台上からその身
をヌーッと突き出された。いかにも臨済の宗風丸出しのキビキビとした大説法で
ある。
すると一人の僧が、これに釣られて出て来て、「如何なるか是れ無位の真人
」と問いを発した。臨済、この僧の登場を待っていたかのように「禅牀を下って
把住し」、講座台からポイと下って、その僧の胸倉をグッとつかんで、「是れ什
んぞ、サァ道え道え」と迫った。これで「アッ、これだ」と気がつかなければな
らぬ所だが、この僧、まだそこ迄熟しておらず、臨済のすさまじい権幕に押され
て、ついグジグジッとした。「擬議」した。これでは芝居にならない。そこで臨
済この僧を力いっぱい「托開」突きはなした。そして「無位の真人、是れ什んの
乾屎けつぞ――無上の尊貴の身でありながら、これでは屎かきべらの値打ちも無
いわい」といって、そのままスーッと方丈へ帰ってしまった。お主らならば、「
道え、道え」と迫られた時、何と挨拶するか。臨済和尚、思わず快哉を叫ぶよう
な挨拶をして見ろ、どうする、どうする。
『臨済録』には、『臨済四料簡』『四賓主』『賓主歴然』『臨済四喝』など
、わが教団で公案として使われ実参実証の上で体得すべきものとされているもの
が少なくない。それらは下手に講ずると、見解を示唆することにもなりかねない
ので、皆は聞きたかろうが、「君子は危うきに近よらず」で、棚上げにしておい
て、公案とされていないで、しかも含蓄が深く宗旨の明諦な章節を選んで講ずる
ことにしよう。ところで臨済には、人口に膾炙した名句が多いが、中でも有名で
一行物などとしてよく揮毫されるのが、ここに挙げた「無事是れ貴人」である。
ここでいう「無事」は、「途中、交通事故にも遭わず、道に迷うこともな
く、無事に到着し」などという、あの無事のことではない。また、何もしないで
無為徒食していることでもない。では、どういう意味であろうか。その意味を臨
済は、これに続けて「但だ造作すること莫れ。祇だ是れ平常なり」と註解してい
る。およそ「造作する」とは、そこら辺の小才子がよくやるように、小ざかしく
思慮分別をはたらかせて、あれこれと小細工することである。そういう小細工・
造作をせず、南泉和尚のいわゆる平常心から、当り前の事をスラリと当り前にや
ること、それがここにいう平常の真義である。
世間では「無造作」ないし「造作無い」という言葉を、「むずかしい」の反
対の「たやすい」という意味でよく使うが、実は「造作しない」ということは容
易なことではないのである。本当の意味の無造作は、修養もせずに本能のままに
勝手気ままに行動することではない。きびしい規格に従って如法に修行して悟り
を開き、更に悟後の修行にはげんで悟りの臭みを抜き、そうして到達した迷悟両
忘の境涯から、あたかも水が低きについて流れ、春到って花が自ら開くように、
些かのはからい心もなく、文字通り自然法爾にはたらき出してこそ、まことの無
造作というものである。そしてここにいう無事とは、まさにこの境涯の謂いなの
である。
次に「貴人」とはどういう人のことであろうか。それは今更いう迄もなく、
いわゆる貴族階級の人とか、位階勲等の高い人のことではない。万人に本来具わ
っている仏性を円満によく育てあげた人、小人 に対する大人、前に講じた『証
道歌』の冒頭に「絶学無為の閑道人、妄想を除かず、真をも求めず」とあったが
、その「絶学無為の閑道人」、それがここにいう「貴人」の真義である。重ねて
いえば、「無事是れ貴人」とは
無事の境涯に達した人物、絶学無為の閑道人こそは、まことの貴人・大人
である。逆に いえば、本当に出来た人とは、無事、無作無心の境涯に遊ぶ人の
ことである。
と要約してよいだろう。お互い、どうぞしてこの意味での貴人に一歩でも半歩
でも、近づきたいものである。そのためにも、この摂心、大いによく坐ろうや。
臨済、或る時、会下に集まって来た修行者らに向って、「道流よ」と呼びか
けておいて、さて「仏法は用功の処無し」云々と説法の本筋に入られた。「道流
」とは仏道の修行をする輩 ということで、ここでは道友の諸士という程の意味
である。ところで、「仏法は用功の処無し」とはどういうことであろうか。ここ
で「用功」とは、本来「功勲・修行・造作のことだ」と注されている。思慮分別
をめぐらせて、あれこれと作為することである。従って「用功の処無し」とは、
日常の生活において、そのような作為をせず、自然に任せて行動することである
。世間の人びとの多くは、仏法というものは、我々の日常生活とは異なった何か
特別の行をするものだと思っているようだが、そうではない。「祇だ是れ平常無
事」に行動し、自然体で事に当ること、それが本当の仏法であるというのである
。そしてその「平常無事」に就いては、先きに「無事是貴人」の段で説いたから
、今またくりかえすことは避けるが、要するに些かも造作にわたらず、自然法爾
にスラリとはたらくことである。
臨済こう言っておいて、次に無功用・無造作の作用の実例を挙げた。それが
、「あ屎送尿、着衣喫飯、困し来れば即ち臥す」である。便意を催してきたら糞
を垂れ小便をし、寒くなったら衣を添え、腹が減ったら飯を食い、くたびれたら
ゴロリと寝る、そこには些かの作為もない、まさに無功用のはたらきであるが、
このように無造作の日常の生活や行為を離れて別に仏法は無いというのが、臨済
のここで言おうとしている眼目である。が、しかし、こういうと「愚者」考えの
浅薄な人々は「仏法とはなーんだ、それだけの事か、それなら何も修行などする
必要もあるまい」と笑うであろう。「仏法を日常生活と離れた別次元のものと考
え、仏法に何か殊勝げなはたらきや霊験を期待している俗物は、儂がこう説くの
を聞いてガッカリし、なーんだ、つまらない」と嘲笑するであろう。しかし「智
者は乃ち焉を知る」で、物の道理を心得た知者は「真の仏法とはそういうものか
、これは恐れいった」と納得し畏敬するであろう。これで、この(3)の提唱は
終りにしてよいのであるが、浅薄に解して誤解されても困るから、もうすこし講
じておこう。
臨済のこの「あ屎送尿、着衣喫茶……」云々の句は、実は彼の創作ではなく
、嵩山普寂の法を嗣ぎ、山居生活を送った初唐の頃の僧、南岳の懶さん(王+賛
)和尚の「餓え来れば飯を喫し、困し来れば即ち眠る。愚人は我を笑うも、智は
乃ち焉を知る。是れ鈍痴なるにあらず、本体如然たるが故なり」を下敷にしたも
のである。そんなわけで、臨済の本当の肚を知るには、この偈をものした懶さん
和尚の人となりと、その生活を知っておくとよい。で、一言、それに言及してお
こう。
懶さん和尚の出た頃、都長安では南陽の慧忠国師が粛宗皇帝の帰依を受けて
顕栄を誇っていたが。一方、この懶さん和尚は南岳(衡山)の石室中に隠栖し、
貧寒な生活をしながらも毎日正念相続に余念が無かった。しかしその盛徳がいつ
か徳宗皇帝の耳に達し、彼を長安に迎えるための勅使が石室に派遣された。折し
も彼は乾いた牛糞を焚いた火で芋を焼いて食っていて、折角の勅使を礼を以て迎
えようともしなかった。折しも寒い季節でもあったのであろう、水洟が垂れて頤
まで届いているのに、それを拭おうともしないので、勅使がたまらなくなって「
その水洟を拭いなされ」と注意すると、和尚「我れ今、正念相続の最中なり、豈
に俗漢の為に洟を拭うの暇有らんや」といって顧みず、ついに勅命を拒否して山
を下らなかったという和尚である。先きの偈は和尚の此の正念相続「本体如然」
の境涯、更にいえば悟了同未悟・無事平常の境涯から生まれたもので、修行もし
ないものが自己の俗生活を正当化して嘯 いているのではない。ここをよく弁別
しておくように、呉々も注意しておく。ところで、この座を見渡すと、解せぬ顔
をしている者もあるから、悟了同未悟について、老婆親切にもう一言添えておこ
う。未だ富士山に登らず、富士山を眺めている人も、麓に立つ人だが、富士山の
頂上を究めて下山して山を顧みる人も、同じく麓に立つ人である。同じく「麓に
立つ人」ながら、両者の境涯には雲泥のちがいがある。「仏法は用功の処無し」
とは、この後者の悟了同未悟の境涯、本体如然の境涯に立って、はじめて言える
もの、味わえるものである。安易にとられては申訳ないので、つい、くどくなっ
てしまったわい。先へ進むことにしよう。
ここに「古人云く」とあるその古人は、つい今先きも登場した懶さん和尚
のことで、釈宗活老師の御著『臨済録講和』にはその原文が引用されている。し
かし、今その原文を再引用することはやめて、端的に「外に向って工夫を作す、
総に是れ癡頑の漢」とはどういうことか、その吟味に入ることにしよう。その場
合、肝心なことは、「外に向って工夫を作す」というが、何を求めて工夫するの
か、工夫の目標が何かを明らかにすることである。それに就いては、求めるもの
を、人生の生き甲斐や幸福と解して、「人生の幸福を、富だの、地位だの、名誉
だのというように、世俗的なものに求めるのは、愚か者のやることだ」と解して
も、一応筋が通る。しかし、この示衆の全体の構成からみると、それは次のよう
に解釈するのが臨済の肚に最も近いと思う。
およそ仏法はこの五尺の肉体に宿っており、「無位の真人」はこの我と常に
形影相伴い、いつも同行二人で行動している。だから、見性成仏をはかろうとい
うならば、その仏性を内に向って求めればよい筈なのに、初心の間はそれをどう
しても外へ求めたがるものである。既に何回か講じた『十牛図』の「第一撥草尋
牛」のところに、「只管、区々として外に向って尋ぬ、知らず、脚底己に泥深き
ことを」という石鼓の夷和尚の頌があったが、仏性をただ外へ外へと求めるのが
実情である。それは「牛に乗って牛を求め」「含元殿裏に長安を問う」もので、
まことに馬鹿げた愚者の所行といわねばならない。「外に向って工夫を作す、総
にこれ癡頑の漢」とは、このことを言ったものである。
仏性は自己の外ではなく内にあるのであるから、内に向ってこれを求め、坐
禅三昧の力によってこれを徹見し、徹見したらこれをスクスクと育てあげ、いつ
でも、どこでも真実の自己として在るように鍛えあげていくのが、禅の修行であ
る。そしてついに、万縁万境に対して主体性を確立して生きるようになること、
それがここにいう「隨処に主と作る」ことである。『無門関』の第十二則に、瑞
巌師彦の『主人公』の一則が採られているが、彼は「毎日、自ら主人公と喚び、
復た自ら応諾す。乃ち云く、惺々着! 諾。他時異日、他の瞞を受くること莫れ
、諾! 諾!」と、悟後の修行に努めていたというが、こうして「他の瞞を受く
ること無く」、主人公がいつでもどこでも惺々として他に君臨していること、そ
れを「隨処に主と作る」というのである。
釈迦は「我れ法王となって、法に於いて自在なり――私は万物の主人公とな
って、万物を自在に駆使している」と述懐している。また趙州従ねんが「他は十
二時に使われ、我れは十二時を使う」と公言したことは、先きに『趙州録』を講
じた時に説いた通りで、これが「隨処に主と作る」の本当の意味である。そして
もし、このように主人公・無位の真人が隨時、隨処で万縁万境を使いこなして行
くならば、その言行云為はみな自から真理に契い、その場がそのままで真実の妙
境となることは当然のことである。それをここに「立処皆真なり」と表現したの
である。 「万物の主人公となって万物を自在に駆使する」という「隨処に主と
作る」境涯というものは、それは孟子のいわゆる「大丈夫」の境涯であって、「
富貴も淫する能わず、貧賤も移す能わず、威武も屈する能わず」で、真の大丈夫
は境によって動かされることはない。それを「境来れども回換することを得ず」
と言ったのであり、これは理の当然のことである。そして臨済はそれを更に「隨
処に主と作れば、縱い従来の習気、五無間の業ありとも、自から解脱の大海と為
る」と強調して、この示衆を結んでいる。これは法律は勿論、倫理道徳の世界を
高く超越した宗教の世界に属することで、簡単に説けることではないが、せめて
文字の意味だけでも解説しておこう。ちなみに「従来の習気」とは、無始劫来の
薫習によっていつの間にか人間の身にしみついた臭みのことであるが、ここでは
アッサリ五欲煩悩による深い迷いと取っておいてよかろう。次に「五無間の業」
とは、無間地獄に堕ちるべき五つの極悪の業のことで、五逆の大罪と同じである
。隨処に主となる境涯はまさに活き仏の境涯であって、一切の是非・善悪を超越
した賞も無く、罰も無く、嫌うべき何物もない、絶対肯定、如是・如是の世界で
ある。従って隨処に主と作る境涯に到れば、単に外境によって動かされないだけ
でなく、迷いはもとより五逆の大罪からも解放され、真の無垢清浄、自由無礙の
世界に遊ぶことが出来ると、臨済はいうのである。
「隨処に主と作れば、立処皆真なり」とは、このようにして、まさに宗教の
本質にまで迫る真実語である。しかし、お互い、果してこの境涯にどこ迄近づい
ているであろうか。お互いはよく金を使う、酒を飲むと言っておるが、実際はあ
べこべに金に使われ、酒に飲まれてはいないだろうか。自分で主体的に泣いたり
笑ったりしているつもりだが、実際は損したといって泣かされ、得したといって
は物によって喜ばされ、笑わされているのが、実情ではないだろうか。「隨処に
主と作り」主体的に行動するといいながら、反省してみると、外境によって回換
されているのが、情けないことに実情である。これを機会にお互い大いに反省し
、「隨処に主と作る」境涯に一歩でも半歩でも近づくよう、今日唯今から修行に
精進しようではないか。
諸士は色々な困難に耐えて、熱心に禅の修行にはげんでいる。大いに結構な
ことじゃ。しかし若し人あって、「あなたは何のために、何を求めて禅の修行を
なさっているのですか」と問うたら、お主らこれに何と答えるつもりか。禅の修
行に志した動機や当人の根機、また到りえている境涯によって、答えはさまざま
であろう。しかし洞然会下の修行者、銅頭鐵額の本格の修行ならば、「ハイ、祖
仏と別ならざる境涯に到り、祖仏と手を把って共に行き、祖仏と共にこの人生を
慶快に生きたいためです」と、確信をもってこう答えてほしいものである。しか
し「祖仏と別ならざる境涯に到る」などというと、世の修行者の中には、「それ
はとても無理だ。釈迦・達磨をはじめ番々出世の祖師方は、皆生まれながらにす
ぐれた素質をもつ宗教的天才である。我々凡夫とは別格な存在で、我々凡夫に彼
らと同じ境涯に到れといったって、それは無理だ」と初めから尻ごみする人も少
なくないだろう。しかしそれは自らにも、仏に在って増さず、凡夫に在って減じ
ない仏性の具わっていることを忘れたもので、間違いである。かつて「学道の三
則」を講じ、「大憤志」を説いた際に強調したことであるが、「釈迦も人なり、
我も人なり」で、仏祖方に出来たことが同じ人間である自分に出来ないことはな
い筈。ただ素質のすぐれた彼らが一年でやったことを、我々は十倍の十年かかっ
てやるだけのことである。根機強く如法に修行を継続しさえすれば、「祖仏と別
ならざる境涯」に到ることは決して不可能ではない。臨済はその見地から、「汝
、若し祖仏と別ならざるを得んと欲せば、但だ如是に見て、疑誤することを用い
ざれ」といっておるが、ここで「如是に見る」とは何をさすのであろうか。それ
は「心々不異なる、之を活祖と名づく」ということを信受して疑わず、そこに到
るよう努めることである。「活き仏とはどういう方かといえば、心々不異で生き
る方である。祖仏と別ならざる境涯とは、ほかでもない、心々不異の境涯だ」と
いうのである。しかし、その「心々不異」とは、どういうことであろうか。
およそ生きている限り、我々の心は一念から二念へ、二念から三念へ……そ
して千念、万念へと展開し、あたかも川の流れのように絶えず持続して流れてい
る。その場合、濁流のように邪念ないし雑念妄想がその流れを充たしているのが
凡夫であり、これに反して「清流間断無し」というように、浄らかな正念が切れ
目なく不断に流れているのが祖仏である。祖仏の心の流れというものは正念で充
たされていて、そのどこを切っても皆正念で一点の異念・雑念もない。これを臨
済は「心々不異」と表現したのであり、わが教団の合言葉の「念々正念、歩々如
是」と同じ意味である。禅堂に在っての静坐、わが家に在っての一日一ウ香の坐
禅、いわゆる静中の工夫によって正念相続の基本を養い、殊にお互いのような居
士、禅子の場合においては、バスの中であろうと職場に於いてであろうと動中の
工夫に骨折ることである。そうして一昨日は二十分間、昨日は二十五分間、正念
相続が出来た。今日はそれを三十分に伸ばして、明日は四十分を目ざそうと努力
して退転しないことである。そうして熱心に骨折れば、時々途切れることはあっ
ても、やがて二時間、三時間と正念が持続するようになる。それだけ「祖仏と別
ならざる時間」が続き、「心々不異の活仏」に近づくことになるわけである。死
んでから「仏様」とあがめられたって、仕様がない。生きている間に、毎日せめ
て三十分間でも一時間でも、活き仏として生き、二度とないこの人生を心ゆく迄
味わいたいものですなあー。〔老師、良久、一黙なされる〕
なお最後に「心々不異」「正念相続」に就いて、誤解のないように一言申し
ておきたい。それはここにいう正念相続とは「一行三昧」に生きることだという
ことである。坐禅の時は坐禅三昧、作務の時は作務三昧、遊ぶ時は遊び三昧で余
念のないこと、当面の仕事に一心不乱で打ちこむこと、これを一行三昧というの
である。自動車を運転しながらも、或いは会社でコンピューターを操作しながら
も公案の工夫をするのが正念相続であると説いているのを耳にしたことがあるが
、それは途方もない間違いである。車を運転する時は運転三昧、計算の時は計算
三昧でその間に一点の異念もないこと、それが本当の「心々不異」であり「念々
正念、歩々如是」の生き方である。ここをしっかりと肚に入れて、心々不異を目
ざして充実した毎日を送るように。
今夜のこの一段は、文殊・普賢・観音の三菩薩について、臨済が自らの見所
を端的に、しかも明諦に説いたものである。偶像崇拝の謬見を捨てて、宜しく肚
で聴聞するように。まず、文殊菩薩から。 中国で文殊信仰がいつの頃から普及
したかは明らかでないが、おそくも唐代には大いに興隆し、山西省の五台山は文
殊の霊場として多くの参詣者を集めていた。比叡山延暦寺の第三代座主となった
名高い慈覚大師円仁(七九四〜八六四)は、その著『入唐求法巡礼行記』による
と、彼自身この五台山に参詣したことが知られ、平安後期に出た成尋(一〇一一
〜八一)もその著『参天台・五台山記』に、五台山に詣でたことを記している。
この中には既に見たものも少なくない筈であるが、例の『前三三、後三三』の公
案(『碧巖録』第三五則)は、牛頭法融の法師の無着が五台山を訪れて、文殊に
相見して問答したという伝承を下敷きにした公案である。ともあれ、このように
五台山は文殊の霊場として有名であり、心の清浄な者が詣でれば生身の文殊菩薩
に相見出来ると信じられていた。ところが、臨済、或る日の説法で 一般の学
人有って、五台山裏に向って文殊を求む。早く錯り了れり。五台山に文殊無し。
と、キッパリと断言し、その上で「汝、文殊を識らんと欲すや。祇だ汝が目前の
用処、始終不異、処々不疑、此れ箇の活文殊なり」と説き進んだが、これは臨済
和尚、何を言おうとしているのであろうか。文殊菩薩とは如何なるものであろう
か。これに就いて答えるには、「三身四智」に就いて解説するのがよいのである
が、それを詳説するのは私の任でもないし、又時間の余裕もない。ザーッと要点
だけにとどめよう。
およそ人間をはじめ存在するものには、必ず本体と形相と作用との三つがあ
る。本体の無い形相、作用はなく、形相と作用とを伴わない本体も無い。仏にも
勿論、この三つがある。そして仏を本体から眺めてこれを法身といい、その形相
から眺めてこれを報身といい、作用から眺めて応身或いは化身といい、この法身
・報身・応身の三つを三身ということは、これまでにも再三説いてきたところで
ある。そしてその三身をそれぞれに人格化したもの、それが文殊菩薩・普賢菩薩
・観音菩薩であり、この三身ないし三菩薩を一身に統一したもの、それが釈迦仏
である。仏と三菩薩とは一即三、三即一の関係にあるものである。
仏とは何か、色々に定義づけも出来ようが、要するに仏とは絶対不変の真理
に体達し、その上に立って一切の衆生を済度するものといってよく、仏のはたら
きは大きく分ければ智慧と慈悲との二つになろう。ところで、その仏の智慧の根
本は、
人間をはじめ、この世界に存在するものは、その形相はさまざまに違って
はいるが、す べて宇宙の大生命の発露したもので、仏性ないし法性を具有して
いる。この仏性ないし法性という本体から見た場合、人間相互はもとより万物み
な一味平等であり、差別はない。
という智慧で、これを大円鏡智といい、これを人格化したものが文殊菩薩で
ある。そして一味平等で差別の相が見えないことは、あたかも真暗闇の中も同然
だというので、「大円鏡光、黒くして漆の如し」などといい、文殊菩薩を黒獅子
に乗せて形象化するのである。
仏性ないし法性という本体から見た場合には、一切の存在は確かに平等無
差別ではある。しかし具体的な現実の世界では人間をはじめ万物は皆、それぞれ
に大小・高低・長短・美醜と差別万般の形相をとり、さまざまな個性ないし特殊
性をもっている。本体から見て平等であるが、その形相、作用からみて差別が歴
然である、これが具体的な真理である。平等即差別、差別即平等、これが円満な
真理である。その場合、平等を表にして差別を裏にして平等に重点をおいた智慧
、それが文殊の智慧であるのに対して、差別を表にし平等を裏にして差別に重点
をおいた智慧、いわゆる差別の妙智、これを平等性智といい、これを人格化した
ものが普賢菩薩である。そして差別の相が歴然と見えるのは白昼同然だというの
で、普賢菩薩は文殊が黒獅子に乗るのに対して白象に乗せて形象化するのである
。
仏とは一切の衆生を済度するのを誓願とするものであるが、衆生の苦しみや
悩みはこれまた種々様々である。だから衆生を済度するに当っては、あたかも名
医が患者の病状を精密に診察するように、衆生の苦悩を正しく診察し、その病状
を判断することが是非必要である。衆生済度の慈悲行に打って出るに先立って、
この娑婆世界とそこに住む一切衆生の症状を正確に観察する智慧、これを妙観察
知という。しかし、単に症状を診察しただけでは病気は直らない。その症状に応
じて投薬し、或いは病根にズバリとメスを入れてこれを取除く、いわゆる外科手
術も必要である。仏が衆生を済度するには、まさにこれに類した適切な処理をす
ることが肝要であるが、それをする智慧とはたらき、それを所作を成す智慧とい
う意味で成所作智というのである。そしてこの妙観察知と成所作智との二つを一
身に人格化したのが観音菩薩であり、観音菩薩は仏の慈悲の面を代表するもので
ある。先きに仏を分析すると、文殊・普賢・観音の三つになり、これを一身に統
合すると釈迦如来になるといったが、仏の智慧を分析すると大円鏡智・平等性智
・妙観察知・成所作智の四智となり、この四智を統合すると真の仏智となるので
ある。つい柄にもなく教理的な解説に流れてしまったが、以上のことがよく分れ
ば、この一段における臨済の説法を今更講ずる必要もないと思うが、折角あるの
だから一通り講じておこう。
臨済、「五台山裏に文殊無し」と痛快な断案を下し、さてそれは汝らの心の
うちにあるとて、「祇だ汝の目前の用処、始終不異、処々不疑、此れ箇の活文殊
なり」と論を進めた。ここに「汝の目前の用処、始終不異、処々不疑」というの
は、「お主の唯今の心の働きが、始終不異、前にあった心々不異でいつでも正念
が持続し、処々不疑、何処に在っても一点の疑念・雑念もないこと」の謂いであ
る。いつでも、どこでも「念々正念、歩々如是」と生き、真理の上に立って行動
できたら、それが活文珠というものだということである。 次に「汝の一念心の
無差別光、処々総に是れ真の普賢なり」とある。先き程、普賢菩薩の智慧ないし
境涯というものは、平等を裏にし差別を表にした差別の妙智のことだと説いたが
、それではここの「無差別光」と矛盾し相容れないではないかという疑問が湧き
起るであろう。洞然も実はここに疑問を抱いた。しかし、それは「無差別光」を
次のように解することで釈然とする。禅では、未だ悟らない前は「柳は緑、花は
紅。山は高く川は低い」、悟ってみると「柳緑ならず、花紅ならず、山高からず
、川低からず」、しかし悟り了ってみると依然として「柳は緑、花は紅。山は高
く、川は低い」と、見所が深まってくるということが言われる。確かにその通り
である。そして普賢の差別の妙智は、一味平等、無差別を通りこした上、悟り了
った上で開ける「柳は緑、花は紅」である。単なる無差別を超越し、それを内に
含んだ差別の智慧である。それを臨済は「無差別の処に差別を認める円満な智慧
・光」という意味で「無差別光」と名づけたのである。『金剛経』に「如々不動
」という語がある。儂の庵号の「如々庵」はこの語に典拠したものであるが、こ
の語の意味は「この世界に存在するものは、すべてそれぞれに特殊な形相と作用
とをもちながら、しかもその差別の当相のままで、それぞれに絶対である」とい
うこと、逆にいえば「存在するものは仏性ないし法性をそなえた絶対者でありな
がら、しかもそれぞれに千差万別の形相を呈し作用を発揮している」という意味
であり、こう見るのが普賢の差別の妙智である。大変に不遜のようであるが、不
肖洞然はここの一節を 汝の一念心の無差別光、処々総に如々不動、柳は緑、
花は紅、是れ真の普賢なり。と補って解しておきたいと思うが、どうであろうか
。明眼の諸大徳の御批判を仰ぎたいと願っている。
次は観音菩薩正しくは観世音菩薩である。観音は先きにも申したように、無
縁の慈悲に催されて、救いを求める相手に応じて様々に、しかも自由に自らの姿
を変化させながら、衆生の済度にあたる仏の働きを人格化したものである。色声
香味触法などの外境によって、又それらによって触発された煩悩妄想によって縛
られて動きがとれず、或いは物にたぶらかされて迷い溺れかけている衆生を、そ
れらの繋縛から解放し、迷いの海原から救い上げる、総じていえば衆生を解脱さ
せるのが観音の仕事である。ところで「非力の菩薩、人を救わんとして溺る」で
は困りものである。溺れかけている人を救うとならば、先ず自分自身が泳ぎが上
手でなければならない。十分に泳げもしないで水にとびこんだのでは、他人を救
えないのは勿論、自分も溺れ死んでしまうのは必定である。他人を繋縛から解脱
させようというならば、何よりも自分自身が「自ら能く縛を解き、随処に解脱」
していることが先決である。そしてこれを「是れ観音三昧の法」というと結んで
、臨済はこの一段の説法を終っている。臨済は衆生済度の利他行に打って出る前
に、先ず自利の修行につとめて自らが解脱すること、自らの悟りを深めることが
先決であることを説いているのである。私も若い時分に、非力の身で大海にとび
こんで溺れかけた経験がある。諸士も自らの悟りを深め実力を涵養することに全
力を尽すことだ。
或る時、臨済、会下の修行者らに向い、「道流よ」と呼びかけておいて、「
汝、如法の見解を得んと欲せば、但だ人惑を受くること莫れ」と説法された。こ
こで先ず問題は「如法の見解」とは何をさすかということである。如法の見解と
は真正の見解の意味であるが、ここでは、たとえば『趙州無字』の公案に対する
見解というような狭い意味ではなく、広く真正の悟りというような意味である。
そしてこの一段全体から察すると更に「真正の解脱」とみるのが適切である。「
お主らよ、本当の解脱を得たいというならば、人惑を受けないようにせよ」とい
う注意である。だがその「人惑」とは何のことであろうか。
臨済が「有る時は人を奪うて境を奪わず。有る時は境を奪うて人を奪わず。
有る時は人境倶に奪う。有る時は人境倶に奪わず」と、いわゆる四料簡を説いて
いることは、ご承知のとおりであるが、これで察せられるように、臨済のいう「
人」は「境」に対するもので、いわゆる人間の意味ではない。彼のいう「人」は
自己・主体、時には心を意味し、「境」は自己をめぐる万縁万境、主体に対する
客体、また心に対する物をさしている。従って臨済のいう「人惑」は「境惑」に
対するもので、それは境惑から考えると分りよい。臨済は別な機会に、真の大禅
者というものは、あたかも『文殊、三処に夏を度る』という公案における文殊の
ように「色界に入って色惑を蒙らず、声界に入って声惑を蒙らず」というように
在るべきだと説いている。これからして分るように、境惑とは眼耳鼻舌身意の六
根の対境としての色声香味触法という六境によって誘発される惑いのことである
。更に分りやすくいえば、酒に呑まれ、金銭や財宝に釣られ、地位や名誉などに
動かされることである。これに対して「人惑」とは自己が原因で起きる惑い、我
見や我執、五欲煩悩ないし浅はかな思慮分別などが原因となって起る迷いのこと
である。臨済のいう人惑は単に「他人にたぶらかされる」という意味ではない。
従って以上に説くところをもう一度要約すると、
お主らが「如法の見解」本当の解脱を得たいというならば、境惑を受けな
いことは勿論、自己の「心中の賊」を退治して、「人惑」を受けないようにする
ことだ。
ということになる。そして次に「裏に向い、外に向い、逢著せば便ち殺せ」と
あるが、これは余り文字にとらわれず、「人惑を蒙りそうになったら、その人惑
をもたらすものを何でもかんでも打ち殺してしまえ、それの息の根を止めてしま
え」ということである。
臨済はこう説いておいて、その殺すべき「人惑」を数えあげたのが、「仏に
逢うては仏を殺し…父母に逢うては父母を殺し、親眷に逢うては親眷を殺せ」と
いう、物騒千万な後段である。これは無論、人殺しをせよとそそのかしているの
ではない。それではどういう意味であろうか。
およそ「人惑」の根源は、無始劫来、人間の心に深く根づいている貪瞋痴の
三毒、いわゆる無明であり、これから八万四千ともいわれる無数の煩悩妄想が派
生するのである。臨済はその無明を貪欲と痴愛の二つに分け、貪欲を「父」、痴
愛を「母」と名づけ、この父母が相交わることによって生れる無数の煩悩妄想を
「親眷」と名づけたのである。人惑を蒙らず解脱したいというならば、まず坐禅
の修行によって八万四千の煩悩妄想の「親眷」を退治し、更に貪欲と痴愛の「父
母」を殺せというのである。分りやすくいえば、「心中の賊」を徹底退治して、
迷いの鉄鎖から本来の面目を解放せよ、というのである。これが出来たら、それ
が道元禅師のいわゆる「身心脱落」であり、それは言うべくして容易には到達し
がたい境涯である。
しかし、この迷いの鉄鎖からの脱却は、まだ本当の解脱ではなく、いわば解
脱の前段にすぎず、更に後段がある。この前段は汚穢にみちた六道の世界から清
浄無垢、寂滅無相の悟りの世界に一歩足を踏み入れたものではあるが、この程度
では、こんどはその悟りにしがみつき、悟りに縛られて自在に働くことは出来な
い。この段階を臨済は「羅漢」と名づけ、このオツにすました羅漢の境涯に腰を
すえておらず、そこを超出せよということを「羅漢に逢うては羅漢を殺せ」と表
現したのである。そしてこの羅漢の世界を超出すれば、そこに自覚覚他、覚行円
満な自由な世界が開ける、それがここにいう「祖」の境涯であるが、臨済はこれ
もまた悟りの臭みが毛一筋ほどだがのこっていて本当の解脱には届いていないと
して、そこにも腰を据えるなという肚で「祖に逢うては祖を殺せ」と説くのであ
る。では、祖を超克して入った「仏」の世界こそ究竟の世界である筈であるが、
臨済はその仏に縛られても縛られることに変りはない、貴い金の鎖でも鎖は鎖で
あるとして、それをも超出せよ、そうでなければ本当の解脱は得られないぞと「
仏に逢うては仏を殺せ」と強調して、この一段を結んだのである。「祖を殺し、
仏を殺し」何物にも微塵も縛られない本来無一物の境涯に到達したら、それが道
元禅師の「脱落身心」いわば「解脱からも解脱した、真の解脱」というものであ
る。この真の解脱の境涯に到ることは、それこそ難中の難であろうが、そこを目
ざして毎日毎日、一日一ウ香の坐禅に骨折ろうではないか。初心の者は迷いの鉄
鎖を截断することに努めよ。久参の上士はよろしく金鎖の繋縛からの脱却に骨折
るべし。今夜はこれまで。
この一段は、文字の意味が分れば、比較的に分りよいであろう。先ず「一念心
」と出てくるが、これは一点の雑念のことである。坐禅して数息観をやり或いは
公案の工夫をしている時に、ヒョイと浮かんでくる雑念や妄想のことである。次
に「歇得」とは休歇と同じで、働きを止め影を没する、消滅するという意味であ
り、「歇得し能わず」とは雑念が次から次と起って歇まないことである。又「菩
提樹」とは、菩提・涅槃という素晴らしい果実の実る樹、「無明樹」とは一切の
迷いの根本である無明という実のなる樹木のこと。従って「汝が一念心の歇得す
る処、喚んで菩提樹と作す。汝が一念心の歇得し能わざる処、喚んで無明樹と作
す」とは、
心中に一点の雑念も無く、「心々不異」「念々正念、歩々如是」と、心の
流れが清らかな正念で充たされている状態、これを菩提樹といい、これに反して
雑念妄想が次々と起って歇まない状態、これを無明樹という。
と訳してよかろう。
臨済はこれを受けて更に「念々、心、歇不得なれば、便ち他の無明樹に上り
、便ち六道四生に入り、披毛戴角せん」と展開しているが、これはどういう意味
であろうか。これ亦、文字の解釈から入ろう。「六道」とは「六趣」ともいい、
地獄・餓鬼・修羅・畜生・人間・天上のことであり、「四生」とは胎生・卵生・
濕生・化生のことである。又「披毛戴角」とは体に毛を披り、頭に角を戴くとい
うことで、犬や馬また牛や羊などの動物のことである。その意味するところは、
もし心の掃除が出来きず、いつも雑念のとりことなり、妄想にひきずられ
ているならば、それは「無明樹に上る」というもので、六道四生の世界を輪廻転
生し、牛馬の境涯を脱却することは出来ないであろう。
という程のことである。これに反して、もし心の掃除が行きとどき、「一念心
歇得」し「一念不生」で、心がいつも正念で充たされ、「清流間断無し」という
ようであるならば、それはまさに菩提を成じ涅槃に入る「菩提樹に上る」という
もので、「三界に神通変化し、法喜禅悦にひたることが出来よう」と結んでいる
。ここで「三界」とは欲界・色界・無色界のことであるが、それらの註解は今は
無用であろう。又、「神通変化」とは超人間的な神通力を得ることではない。「
三界に神通変化す」とは、この人生において無礙自在に生きるという位の意味で
あり、そう生きるならば、本当に生きがいのあるように生きた喜び、法喜禅悦に
ひたることが出来よう、という程の意味である。
『禅林句集』に「披毛従レ比得 戴角亦従レ他――披毛も比れ従り得 戴角も
亦た他に従る」という五言対句があるが、これは臨済のこの一段の説法をよく踏
まえたものである。その意味で
われわれ人間が畜生道に墜ちてさもしい生活をし、あたら一生を棒に振る
のも、また仏となって清浄で楽しい生涯を送るのも、皆これ心次第である。心の
浄と不浄、正念相続が出来るか否かによる。それ故に、心の掃除と練磨とに骨折
れ。
という、五言対句に就いての私釈を披露して、この一段を結び、次に進むこと
にしよう。
この一段は「坐禅三昧」とは如何なるものかを知る上に於いて、初心の者に
とっては勿論のこと、初心者を正しく教導すべき責任をもつ久参底にとっても、
極めて大切なものである。単なる肉の耳でなく心の耳で聴いて、よく肚にいれて
おくように。
さて臨済、列坐の聴講者に向って「大徳よ」と呼びかけた。これ迄屡々出て
きた「道流よ」とか「上座よ」とかと同じことである。禅家では場合によっては
弟子を「小師」と呼ぶこともある。これで分るように、禅の師家というものは、
弟子の人格を十分に認めてこれを尊重するものなのである。修行の上では相当は
げしく罵倒することや、怒罵呵咄することもあるが、それは修行者を鍛えようと
する慈悲の発露であって、世間的な人情や感情からではない。不肖洞然も口がよ
い方ではないが、肚はきれいなつもりである。誤解する者もあるまいが、よい機
会なので一言しておく。なお「山僧」とは「野僧」などと同じく、ここでは臨済
の謙遜した自称代名詞で「儂」というほどの意味である。
臨済和尚、講座台上から「列座の諸大徳よ」と呼びかけ注意を喚起しておい
て、
儂はいつも 心外に法は無い、だから外に向って真理・仏性を求めてはな
らない。「牛に騎って牛を覓める」愚行をしてはならない。経文や祖録に求めて
はならない。ズバリと「赤肉団上、一無位の真人有り」と、仏性はこの肉体に宿
っていると説き、外ではなく内に向って求めよと力説してきた。すると修行者の
中には、「内に向って求めよ」という、儂の肚を取りちがえて「死人禅」を行じ
て、それでよいつもりでいる者がある。即ち型の如く壁に向って坐り、「舌、上
齶をささえ」で黙然と口を「へ」の字に結び、あたかも木偶の坊のように「湛然
として動かず」、ただトロリーッと無念無想を観じて、「此れを取って是れ祖門
の仏法」と解し、いい気になっている者がある。しかしこれは「也た大いに錯れ
り」で、途方もない邪禅である。
と、声を大にして警告され、更に「是れ汝、若し不動清浄の境を取って是と
為すは、汝便ち他の無明を認めて郎主と為すなり」と、その錯誤をきびしく批判
しておられる。
ここで「不動清浄の境」というのは、波立つ心を一時何とか抑えて静かにし
ている状態のこと、たとえていうならば泥水をコップに汲んで一昼夜も静止させ
ておくと、泥が下に沈んできれいな上澄みが出来るが、丁度そのような心の状態
のことである。このコップそのまま静止させておけば、一応澄んできれいではあ
るが、僅かでも振るとすぐ元の泥水に戻ってしまうことは、お主らも経験して分
っていよう。丁度そのように清閑な禅堂ではこの「不動清浄の境」を何とか維持
できても、一歩道場を出て実社会に入るとすぐ騒ぎたって濁ってしまう。しかし
世間にはこのような「不動清浄の境」を「祖門の仏法」であり、禅の悟境だと誤
認している者が多いが、それはあたかも奴を郎主(主人)と取違えるのと同然で
ある、と臨済和尚いってござるが確かにその通りじゃ。
長沙の景岑和尚の章で触れたかどうか思い出せないが、この和尚に
学道の人 真を識らざるは 只だ従前の識神を認むるが為なり 無量劫来 生
死の本 痴人は喚んで本来人と為す
という偈がある(『無門関』第12、『瑞巌主人公』参照)。「不動清浄の境
」はこの偈にいう「無量劫来 生死の本」即ち迷いの根源である「識神」、いわ
ゆる第八阿頼耶識のことである。臨済のこの説法、長沙景岑のこの偈と重ね会わ
せると、よく分るであろう。
こう言っておいて臨済は更に、「儂の今説いていることは、儂だけの意見な
のではない」とて、「古人云く、湛々たる黒暗の深坑、実に怖畏すべし」と、古
人の言を引きあいに出した。ここにいう古人とは、隋の煬帝の帰依をうけて天台
山に篭り、天台宗の基礎を固めた天台の智者大師・智ぎのことである。「湛々た
る黒暗の深坑」とは、暗く窮屈な墓穴の中でトロリーッと無念無想を観じてそれ
で得たりとしている境地、いわゆる死人禅の境地のことであり、つい今先き出て
来た「不動清浄の境」のことである。そしてそれが、「実に怖畏すべき」もの、
気をつけないと危険なものであることは、今更いうまでもあるまい。呉々もご用
心、ご用心じゃ。
精神の空白状態ないし放心状態を意味するいわゆる無念無想や、泥水を澄し
てソッとしておくような黙坐澄心即ち不動清浄の境が、本当の坐禅三昧とは似て
非なるものであることは、以上で分ったであろうが、それでは本当の坐禅三昧と
りわけ正念相続とはどういうことであろうか。これは大事なことだから、いささ
か法話めいて気がひけるが、講本を離れて私見を率直に披露しておこう。
およそ禅者の生き方の基本は、何事にも三眛で当るということであるが、そ
の三眛とは正念相続、心境一如・自他不二、正受して不受という三つの心の働き
の統合したものである。そして中でも大事なのは正念相続ということであるが、
それはどういうことであろうか。およそ人間の心は、生きている限り、あたかも
川の流れのように絶えず切れ目なく流れるものである。ところが、その心の流れ
を満たしているものが雑念や妄想だけであるならば、その流れは濁流というべき
である。といって濁流になることを恐れてその流れをストップし、水を乾上らせ
た状態、それが無念無想である。これに反して「清流間断無し」というように、
正念が絶えず豊かに流れる状態、これが正念相続であり、三眛の最も肝心なとこ
ろである。坐禅していても生きているのだから、眼耳鼻舌身意の六根はその働き
を休止しているわけではない。従って眼前に白い蝶が飛んでくれば見えるし、外
で犬が鋭く泣けば聞えるし、台所から調理の匂いがただよってくればそれが鼻に
感じる。その場合、正念の流れが豊かでいきいきとしておれば、あたかも滔々と
流れる清流に傍から少々の濁流が流入してもすぐ浄化してしまうように、それら
の外界の刺激は正念の清流を濁らせることはない。いわゆる「二念を続がず」で
ある。その場合、正念の流れの水量が乏しく弱々しいと、外からの刺激やそれに
触発された想念が浄化されず、いつか流れの主流を占めて「濁流間断無し」にな
ってしまう。この辺のことは、自分の坐禅の体験を振りかえってみれば、よく納
得がいくことだろう。ともあれ、坐禅三眛とは乾上った川のような無念無想の境
地に陶然としていることでもなく、又、「出ず、入らず」の山中の古沼のような
死水の境地にトロリとしていることでもない。真の禅定三眛、臨済のいわゆる「
心々不異」、私のいう「正念相続」とは正念の流れが豊かで、しかも音もなくイ
キイキと流れて断絶しないことである。
ついでの事に、もう一つ別な禅語を引用して正念相続の何たるかを説明して
おこう。そのもう一つの禅語とは、冬の茶席によく見かける「紅炉上一点の雪」
という語である。今日では殆んど見かけなくなったが、昔は室の暖房には炉中に
赤々と木を燃やしたり、或いは達磨ストーブに石炭をドッサリ焚いてこれを真紅
にしたものである。ここにいう「紅炉」とは、このように火勢強く燃える炉やス
トーブ、更には鉱石を溶かす溶鉱炉のことである。もしこれらの炉の火が消えて
いるところに雪が舞いこんできたら、炉上に雪が積ってしまうし、火力が微弱で
あれば雪は暫くは消えずに残り、とけて水の痕を残すであろう。しかし炉が真紅
に燃えているならば、舞いこんだ雪は傍に来ただけで瞬時に蒸発して痕跡をとど
めないであろう。「紅炉上一点の雪」とは、この消息を表現した句であるが、ま
さにこのようにイキイキと正念が燃えさかっていて、雑念や妄想の寄りつく隙が
なく、それらを瞬時に蒸発させてしまう心の状態をズーッと一貫持続すること、
それが本当の坐禅三眛なのである。坐禅三昧といい、正念相続というのは、「清
流」や「紅炉」にたとえられるように、まことにイキイキしたものなのである。
重ねていう。真の坐禅三昧、正念相続と「黒暗の深坑」に在って無念無想を
観ずる死人禅、いわゆる「鬼窟裏に活計をなす」暗照默照の邪禅といかに異なる
かをはっきりと肚に入れて、真の坐禅三昧を行ずるようにせよ。今晩はこれまで
。ハイッ。
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